自分の人生の主役は自分なんだよ。
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君が代不起立で教諭、6ヶ月の停職
 1999年、国旗国歌法案が国会でさいたくされたとき、野中官房長官は国旗国歌は強制いたしません、といっておられた。そんなのはウソだ、とその当時自HPでかみついた文章を掲載した。

 今回、東京で町田市立中教諭が懲戒免職につぐ停職6ヶ月をと都教委からいいわたされた。東京都では2003年10月から国歌斉唱時に教員は起立を義務づけられている。今まで不起立のために314人の教員が処分をうけている。なかには定年後の再雇用選考にごうかくしていた教員もふくまれる。停職6ヶ月の教諭は「覚悟はしていたがあまりに重い。次は免職かもしれないが教員生命をかけて強制に反対していきたい」とコメントした。

 為政者は楽に国民をまとめたい、とおもうのが常だ。とくに発展途上国では謙虚にあらわれる。国旗国歌のたぐいは国に都合がいいような人間をつくることを目的とする。長いものには巻かれろ。お上に逆らっちゃ痛い目にあうよ、というメッセージが一連の教員処分だ。そのあと、こざかしくうるさい教員がいなくなったら、生徒たちに矛先を向けてこよう。生徒たちのなかにも反骨の先生の姿を見て気骨があるものは、起立はしまい。しかしそんな生徒も月日が自然に処分してくれる。いつのまにか日の丸君が代が当たり前の社会的常識になっていく。

 まだ間に合うんだ。反骨先生が人生をなげうって闘っている間は、まだ間に合う。国家の強制には断固として反対しないと、取り返しのつかないことになる。先の戦争でいやなほど国民は犠牲をしいられたじゃないか。

 ことの本質が分かっているものは周りの人間にお上の強制がなぜいけないのか啓蒙しようじゃないか。発展途上国から真の先進国に脱皮しよう。国民あっての国なんだ。国あっての国民ではない。そのためには個を確立する事が何よりも大切だ。なぜなら世間の風潮にながされていては個々において充実した人生は送れないからだ。飽食やエステにばかりうつつをぬかしてるな。お上と闘う教師を守ることもしてこそ、飽食やエステも生きてくるんだ。

 世間の風は冷たいかもしれないが、世情に流される人生をおれは送りたくない。

2007年3月30日 喜多武司
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by kitatakeshi-blog | 2007-03-30 21:03 | 日本ななめ切り
マドリッドの地下鉄にて
ふと本から目をそらして、あたりを見廻した。早朝のラッシュ時の地下鉄内部は押し合いへし合いの喧騒をかもし出していた。私のまえの中年の女性は体をねじまげて本を読んでいる。そのひとの横の青年はつり革に両手をあわせて立っている。

 私がすわっている席から左前方2mほどのところに中南米系の女性らしい褐色の肌をした小柄な若い母親が一歳半ほどの赤ん坊を抱いて立っている。横には8歳ほどの娘が無表情で母親に寄り添っていた。

 スペイン人の若い女性が母子のまえに座って、本に目を落としている。最近自分自身も子供をもったことで、子供も1歳半ほどになると体重が10キロを越してきてかなり重い、という経験をした。ふと席を替わってあげようかな、という気持ちが芽生える。しかしすこし距離があるし、車内は身動きの取れないほどの混雑だ。
まあ、いいかというという気持ちで再び自分の本に目を落とした。

 すこし間をおいて男性の声が車内に鳴り響いた。
「このご婦人に席を譲ってあげてください!」きっぱりとした張りのある声だ。すかさず私の左横に座っていた女性が立ち上がった。私同様母親との距離があるので立ち上がるのを躊躇していたのかもしれない。

 しまった、と心の中で叫ぶ。金縛りにあったように私の体は動かない。何ともいえない自己嫌悪が体中を走りめぐる。どうしてすぐに席を譲ってあげなかったんだろう。どうして・・・

 赤ん坊を抱えた母親は無言で席についた。声の主は席を譲ってくれた女性に、これも張りのある声で礼をのべる。グラシアス!と。

2007年3月30日 喜多武司
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あるスペイン人の労働意識
 
 「いくら新人だからといっていつもいつも時間ぎりぎりまで働かすことはないだろう!」


運転手の詰所の横につながっている事務所に戻るなり、運転手の手配をしていて夜の9時から仕事を始める親方・ルケが私が勤務する時間帯の責任者で同僚の若いハヴィを怒鳴りつけている、というかスペイン人は通常おおきな声なので、どなっているように聞こえる。

 新人というのは私のことだ。知り合いのハイヤー会社の社長から、テレビ局の仕事を24時間体制でサポートすることになった、人手が足りないので手伝ってもらえないか、という打診があった。私は日頃は日本人のための観光ガイドやドライバーズガイドの仕事を中心にしている。時間があるときはお手伝いしましょう、と答えておいた。

 私のテレビ局での仕事は取材陣のための運転手だ。15時から23時までの1日8時間拘束。日本人相手の観光とは違い、日頃は入れもしないところに入れるので、目先が変わっておもしろい。先日もマドリッド郊外にある軍事基地にいってきた。マドリッド・バラッハス国際空港横駐車場爆破テロで亡くなったエクアドル人を軍用機を使って国費でエクアドルへ償還するところをニュース報道するテレビ局のクルーとはいった。興味があるので私も付いていっていいかなと、ディレクターに打診すると一緒にきなよ、と気軽な返事。兵士に誘導されて駐車した車を置き去りにしてカメラマンのそばにぴったりとひっつく。成り行きの一部始終を見ることができた。

 「おれの知るかぎり4回は時間ぎりぎりまではたらいている。ほかの運転手は終了30分前には退出している手前、バランスが取れないだろ。どうしていつもいつも同じ運転手だけが時間ぎりぎりなんだ!」とハヴィが詰問されている。ハヴィは何かいい訳をいっているが、ルケおじさんは、いきり立って聞く耳をもたない。

 今日は帰っていいよ、とやさしくルケおじさんは私にはなしかける。お互いに笑みがこぼれる。ルケおじさんの笑みはいいたいことは言ったという満足感からくるのだろうか。夜も遅いから早く家に帰って、家族サービスしてあげなよ、と私に言っているようにも取れた。時計をみると夜の10時過ぎだ。私の仕事が終わるまで1時間ほどまだ、ある。残業などもってのほか、業務に支障がないかぎり、少しでも早く労働者を家庭に帰してやろうという優しい気持ちが親方・ルケには満ち満ちている。
 
 唐突だが次のことを参考までに記しておこう。統計によると昨年のスペイン経済成長率は前年比3.8%増を記録している。

2007年3月29日 喜多武司

 
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マドリッドバラッハス空港横駐車場爆破テロ
 
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間違って、削除してしまった。写真だけでも載せておこう。
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日本きもの党宣言
 先日国会を通過した教育基本法改正案では、とうとう日本社会もここまできたか、というおもいだ。「改正」と一般にいわれているが、一般国民にとっては「改悪」といっていいだろう。一度、前教育基本法をみんなにも読んでもらいたい。戦後自民党政府は教育基本法の理念にそった学校教育をしてきたのだろうか。おれは否といいたい。

 個性をのばす教育、絵に描いた餅であった。学校教育において基本である「読み書きそろばん(計算)」を基本に自分のあたまで物事を考えるという教育をしてきた事があったか。こどものころから物事をかんがえる教育をしていたら、現代の国民のレベルもそうとうにあがっていたはずだ。不正に対する社会変革の原動力になっていただろう。そのことは国の統治者にとっては怖いので、与えられた教育をなんの疑問ももたずに丸暗記する子供が優秀というお墨付きを政府は与え続けてきた。そして政府が考える優等生に対しては高賃金・高待遇というアメによって保護し続けてきた。一億総愚民化政策だ。

 国民一人一人にとってぼんやりした不安を持ち続けて生きる日々ではないのか。日々の生活が忙しく、仕事においては精神的な締め付けがおおくストレスがたまっている国民も多かろう。それでも物事を思考するという習慣が大多数の国民に根付いていないために、ぼんやりした不安がどこから来ているのか、考えられないでいるのではないか。

 1999年以来おれなりに日本社会に警鐘を鳴らしてきた。特に未来のある俺より若い世代のために減らず口の文章を書き続けてきた。しかしおれが思っている理想の日本社会とは正反対の社会になろうとしている。今までのおれのやり方ではだめなのではないかという気持ちがもたげてきている今日この頃だ。

 そこで、みんなにとってもっと身近なところから生活態度を変えることができないかとかんがえるようになった。そこで出てきたのが世界に誇る民族衣装である「きもの」だ。

 一週間に一度はきものを着る日をつくろうと提唱したい。なぜきものなのか。それはきものを着るという行為のなかで時間を過ごすことによって、新しい発見があるのではないかと考えたからだ。思いついたことを並べてみると、胴長短足の日本人の体型を隠し美しく見せるすばらしい衣装だ。傍目から見ているだけで惚れ惚れする。姿勢がよくなる。さらしや帯をつけることによって暴飲暴食がが出来なくなる。日本の伝統工芸の方にも目が行くようになる・・・まだまだいろいろあるとおもうが、女の子も出勤時にはドカドカと早歩きしているが、きものを着ればそうもいくまい。自分の生活態度を見直す良い機会になる。

 きものを着るを合言葉に緩やかな連帯ができるのではないかとも考える。民族衣装を着て生活できないことに疑問を感じる人々もでてこよう。そこから変革の兆しが生まれるのではないか。

 今日のところは思いつくままにかいた。また日にちが経てば、あたらしい考えも浮かぶかもしれない。

2007年3月17日 喜多武司

 
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by kitatakeshi-blog | 2007-03-17 19:50