自分の人生の主役は自分なんだよ。
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カテゴリ:日本ななめ切り( 85 )
ライブドアショック
 そろそろライブドア問題も落ち着きだし、あとは特捜の告訴待ちとなった。マスコミでいろいろ言われているが、ホリエモンなんて時代の寵児のときには持ち上げるだけ持ち上げて、逮捕されたとたんに手のひらを返すようなボロクソな報道振りだ。芸者ジャーナリスムのマスコミの本質が垣間見れてほほえましい。おっと芸者をされている方のほうがもっと気骨があることは想像に難くない。

 ホリエモンはトラの尾を踏んだということなんだろう。この国の本当の権力者=高級官僚の前には何もできないということか。ホリエモンは法律違反を犯した。それは間違いのないことなんだろうが、どうせ公取法なんていう法律はたかだか人定法だろう。勝手に権力者が決めた法律だ。そんなものは重要視することなし、というのがおれの考え方だ。世の中動かしているのは力関係であり、どっちが強いかで負けたほうが悪者になる。そりゃ人定法で武装している権力者側が強いに決まっている。しかし少ない確率でそんな権力者をひっくり返す可能性だってあるのは歴史が証明している。

 権力をもった既成勢力に立ち向かったホリエモンはとくに若者の憧憬の的だっただろう。ライブドアの株を一株もつことでホリエモンと連帯しようとした若者が多くいるという。既存の体制に胡坐をかいてのほほんとしている人々に一矢をむくいてやろうとしたのがホリエモンが進めたやり方なんだ。参謀の宮内というのも苦学しながら税理士になったという。本来負け組といわれた人間の社会への反逆でもある。何もない若者にはカネこそ力だ。そして知恵を絞って法律的にグレーゾーン錬金術を駆使していく。

 ホリエモンも宮内も刑務所でしっかりと勉強してくるように。君たちとはやり方は違うが80年ほど前に人定法を軽視または無視したアナーキスト=大杉栄は逮捕されると一犯一語といって入所するたびに一外国語をマスターしていった。確か6ヶ国語をマスターしたはずだ。なにも大杉栄のように外国語を学ぶ必要もない。君たちは六法全書の丸暗記なんていうのはいかがなものかな。そしてまた権力者に一泡吹かせてやれよ。

2006年2月10日 喜多武司
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by kitatakeshi-blog | 2006-02-11 18:30 | 日本ななめ切り
こうするべき!麻原裁判 控訴審
 日本滞在中、面白そうな講演会があったので友人と誘い合わせて、行ってきた。公演メンバーは野田正彰さん(精神科医であり大学教授なのだが、歯切れのいい文章が俺は好きだ)・大谷明宏さん(ジャーナリスト、読売新聞のとき社会部記者として社会の暗部をえぐる暴露記事を書いていたが、独立してからは芸者ジャーナリスト=田原総一郎とよく組んでいる)・宮台真司さん(社会学者、40代のホープだな。話はおもしろいのだが学者だからか日本語の中に横文字をよくいれて学のない視聴者にはよくわからん言葉を発するところが難点だ)・宮崎学さん(作家なのかな?でもおれはこの人の生き様・言動を尊敬している)・奇特な麻原の弁護人=松下・松井両弁護人

 さて本論に戻るが、弁護人によると麻原祥晃は現在精神的に病んでいて、一切の意思疎通ができないでいるという。接見回数は170回を数える。車椅子に乗せられての接見なのだが、発することばが「う、う」だという。よだれが垂れていて一見して尋常な様子ではないと見受けられるそうだ。精神科医の野田さんも実際に接見して精神障害の可能性が多い大きいとおっしゃっておられた。

 問題なのは裁判所が麻原氏を医者に診察させる許可を与えないことだ。当然その間は控訴審の公判はストップしてしまう。裁判所はそれがいやらしいのだが弁護人は控訴趣意書さえ出すことできないでいる現状をみると、とうとう裁判所も重い腰をあげて裁判所が選んだ医者による診察を許可した。もちろん野田さんは選ばれていない。裁判所にとって病気療養がひつようだという精神科医は必要ないのだ。裁判遂行できる精神状態であるというお墨付きをくれる医者を望んでいる。結果がでるまでにはなお数ヶ月かかるという。

 「麻原を早く死刑にしろ、吊るせ!」という世論の無言の圧力に裁判所がひるんでいるように見受けられる。弁護人も言っていたが、病気を治してからしっかりと裁判を継続させればいい。単純なことなのだが、麻原だと詐病の疑いもあるというんだな。また麻原に死刑判決をだした裁判官として名を残したいのかも知れぬ。そういえば異例中の異例、裁判官が東京小菅刑務所に麻原に会いに行ったというんだ。

 事件から11年経ち、オウムサリン事件も心の片隅奥深くに埋もれている人が大部分だろう。しかし麻原をできるだけ早く死刑に処すことが懸命なことなのか。麻原から何一つ事件の真相を訊きだしていない我々は臭いものには蓋的態度でいいのか。なぜサリンを撒いたのか、その一点だけでも訊きだす努力をしないで、彼を葬り去ることにおれは反対だ。

2006年2月4日 喜多武司
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by kitatakeshi-blog | 2006-02-04 17:24 | 日本ななめ切り
マンション耐震強度偽装事件
 一連の事件の報道をみていると誤解を恐れずに言えば、つくづく社会の必要悪であった「談合」という制度が黙認されたほうが良かったのではないかとおもう。利益が確保できれば今回のような考え方が関係者の頭をよぎらなったとおもうからだ。

 談合という制度は建設業界では良く行われていた。大変な数の中小零細業者にまで仕事が回るようにする制度でもあったのだ。また中小零細企業が不良とよばれる子供たちやこれといって才能のない労働者に仕事を回して受け皿になっていた。ある意味では民間における底辺労働者のセイフティーネットだったわけだ。

 もちろん親会社は公共事業も含めてたんまりと儲けたわけだ。しかし人命を脅かされるマンションをつくられるよりよほどよかったかもしれない。罰則が強化されて「談合」しずらい環境が最大の原因だとおもうのは俺ひとりだろうか。

 談合は悪ということで優秀な官僚が法律を整備し社会の隙間を埋めてしまったことが本当は問題ではないのか。社会のは隙間があったほうがいい、いい加減さといっていいかもしれない。なんでも計算どうりにきちっと行かないのが社会だということを再認識した方がいいだろう。

 もうひとつ感じたのは日本の生活世界の基盤というのは何なのかということだ。国会の証人喚問でひとりひとりが良心に誓って・・・と宣誓するが、この時の「良心」とはなんなのだろうか。ヨーロッパは宗教とルールが確立されている社会で、神にそむく発言が良心にそむく発言ということなのだが、宗教基盤やルールのない日本社会ではたして「良心に誓って」という儀式が必要なのか疑われる。偽証罪に問われるかどうかの低問題でしかないようにおもわれるからだ。

2005年12月17日 喜多武司

 
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by kitatakeshi-blog | 2005-12-18 05:06 | 日本ななめ切り
小学1年少女殺人事件
 広島で起きた小一少女殺人事件で、日系ペルー人が犯人として捕まった。詳細は今後の捜査での解明を待つしかないのだが、あまりにも痛々しい。おれも生まれたばかりの娘がいるがこんな事件に巻き込まれたらどうしようか、今から考えておかなくてはいけない。こんなことを考えるような社会になってしまったことが、一番頭にくる。しかし想定できた事件でもある。

 なぜ想定できるのか。それは小泉改革が進むにつれてむき出しの資本主義が社会で大手を振っているからだ。会社の財務内容をよくするためにリストラするなんぞ空気のように当たり前になってしまった。小泉改革で恩恵をうけるのは本当は10人にひとりぐらいじゃないか、とおれは思っている。その中に入れればこんな極楽はないだろう。しかしそうは問屋は卸さない。

 この日系ペルー人も小泉改革のもと、まわりにまわってリストラされて明日をもしれないその日暮らしをしていたのではあるまいか。将来に希望が見出せない若者には、自暴自棄にならざるを得ない。社会的弱者はより弱いものを見つけて襲い掛かる。おれも高校時代、家を飛び出し、ひとりでバイトをしながら高校に通っていたが、進学校だったこともあり大学に行くのは当たり前の環境のなかで、悶々としていた。たとえ大学入学したって一高校生がどこから入学金をもってくればいいんだ?そんなところから勉強することに意義を見出せずにいた。自堕落な生活の3年間であった。

 そんな経験をしてきたせいか、この容疑者の気持ちがいたいほどわかる。むしゃくしゃしてたんだ。そしてそのことを相談する人間もいないし、親身になって世話をしてくれる人間が周りにいなかったのではないかな。俺の場合は幸運にも親身になってくれる親代わりの人がいたから助かったけれど。もしそんな人間がいなければ犯罪のひとつやふたつ犯していたかもしれない。

 社会的に虐げられている人間を増産しているのが、小泉改革の美名のもとで進んできた社会変革だ。そんな虐げられた人間が増えれば増えるほど、内向し社会不満のエネルギーとなって、どんでもない形になって爆発することだろう。そう10年前のオウムサリン事件は今後日本社会が突き進む序奏の犯罪でしかない、ということがみんなの目にも明らかになる日も遠いことでもないかもしれないな。

2005年12月2日 喜多武司
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by kitatakeshi-blog | 2005-12-03 00:46 | 日本ななめ切り
われわれと「彼ら」
 森巣博という作家がいる。オーストラリア在住で本業は博打打ちだ。カシノで飯を食っているめずらしい人間だ。おれもカシノが大好きで長い間、カシノ場にいりびたっていたが、一文無しに近い状態になったので最近は通っていない。おれよりも10歳ほど年上の方だから、もう60歳近いことになるが、サイドビジネスの物書きではあまり儲からないといっていたので、せっせとオーストラリアのカシノ場を周っていることだろう。

 さて森巣さんは境界線というものをとても気にしていて、「われわれと彼ら」という概念を機軸に作家活動をしている。外国にいると自分は外国人であると認識させられることは多い。たとえばそこの国の人々ではノーマルスピードで会話をするのに、外国人相手だとゆっくりと話をしてくれたりする。自分としてはありがたいと思う反面、外国人だからという理由で境界線をひかれたような屈辱感も感じたりする。

 自分の生まれ育った環境から感じえたもの、そしてものごとや人物に対する好き嫌いというものがどうしても感情として芽生えるのが人間の性というものだろう。この感情からはほとんどの人間は抜け出すことができない。できないから自分とは異質のものについては思考停止状態になる。たとえばオウムの麻原祥晃についてどれだけの人間が思いを馳せて彼が引き起こした事件を考えているか。おそらく大多数は考えていまい。考えないどころか、マスコミが垂れ流す情報を鵜呑みにして、それが真実であるかのように錯覚して自分の頭の中にインプットしてしまう。

 「われわれと彼ら」という概念は差別の根本原因なんだ。ほとんどの人間がこの概念から逃れられない以上、最低限の痛みで社会生活を営むということが、社会安寧の必要条件であろう。それは異物を認める作業だ。たとえ自分とは考えが合わなくても、またどうしてそう考えるのか理解できなくても、その意見を言う権利は認めるということだ。

 所詮人間はひとり一人違うんだ。違うということを前提にしなければ円滑な社会生活は営めない。しかし現代日本社会をみていると、どうしても異物を排除しようという空気が強いし、年々強まっている。みんなが同じ方向で異物を排除し始めるとき、終には「われわれ」の中にいたとおもっていたことが錯覚でいつの間にか「彼ら」の中にいたなんてこともありえるわけだ。

2005年11月14日 喜多武司
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by kitatakeshi-blog | 2005-11-15 01:46 | 日本ななめ切り
共謀罪
 選挙後の臨時国会で郵政法案が可決されようとしているわけだが、刺客議員の答弁が国会をにぎわしているようだ。臨時国会での法案審議というのは珍しいことだとおもうが、郵政法案のみならず、共謀罪と身体障害者自立支援法案も成立させようといている。身障者自立支援法案についていえば、身障者「切捨て」法案だとおれは考えているが、今回は共謀罪について考えることにする。

 
 国連越境組織犯罪防止条約批准のために必要な法案だというのが共謀罪国会提出の趣旨のようだ。麻薬犯罪や人身売買という犯罪を取り締まるため国連が主導して2001年に国連総会で可決された。2002年・2003年と共謀罪を国会に提出されたが、廃案となった。

 なぜ廃案になったかというと、共謀罪というのはとんでもない法案だからだ。なんか悪いことを画策し「合意」しただけで犯罪になるという。懲役4年以上犯罪に適用されるという。なんとその数・615もあるんだ。本来は麻薬・人身売買に限定されている国際条約を批准するためにこの共謀罪は必要だとされるんだが、法務官僚は、自分たちの力を増大させるために拡大解釈して法案提出とあいなった。

 市民運動阻止のために、この法律が適用されるのは目にみえている。インターネットでのやり取りさえ、難癖をつけられるやもしれぬ。なんともはやジョージ=オーエルの「1984」の世界そのままの監視社会が目前に迫っている。

 ほとんどの市民はおれはなんも悪いことなんかしないし、しようとおもったこともない。共謀罪が成立したところで痛くも痒くもない、おもっているかもしれない。しかしここに落とし穴があるんだ。共謀罪には密告制度というのがあって密告したやつは罪が減免されるんだ。つまりあんたを気に食わないとおもっているやつがいるとしたら、罠に嵌められる危険性があるということなんだ。そして密告したやつは罪を免れるというわけだ。

 こんな法律ができたら人間不信を基盤にした社会が構築されていくだろう。いいたいことは山ほどあるが黙っていることが一番、という社会になっていくんだ。そして権力機構は好き勝手なことをしはじめる。それとても批判の声が上げられない。こんな法律が修正もなしで与党の大多数で可決されようものなら、もう日本はおしまいだ。

2005年10月9日 喜多武司
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by kitatakeshi-blog | 2005-10-09 17:57 | 日本ななめ切り
バリ島連続爆破テロ

また連続無差別テロがバリ島でおこった。世界的な観光地だということで世界のメディアは大々的に世界中に報道している。しかし毎日世界のどこかでテロが起こり人々が死んでいるんだ。そう、報道されずに人々が殺されている現実だ。

 だんだんと世界中の人々は「テロ慣れ」してきている。テレビをみながら(またかよ)とつぶやいている顔が浮かぶよ。だって俺自身が正直言ってそんな気持ちになるからだ。

 自分の力ではどうしようもないのがテロ被害だろう。おれだってマドリッドの街角を歩いていて、突然自動車に仕掛けられた爆弾が爆発し被害にあうかもしれない。ETA(バスク地方テロ集団)はこの手口で過去に累計700名以上の命を奪った。自分に直接の被害が及ばなければ対岸の火事ぐらいに思って生きているのがおれたち凡夫のかなしい現実だろう。

 自分や自分の家族さえ安泰ならばそれでいい。社会的問題なんかに目を向ける余裕なんて忙しい自分の生活の中にはないんだよ。それを専門に研究されている学者先生にお願いすりゃいいじゃねえか。適当に政府の行動をつついたりして、それなりの言動をしてくれる。俺たち大衆の欲求不満解消に一役買ってくれるというわけだ。と、そんな声が聞こえてくる。

 先の戦争に突入していった社会状況とたいへん似ているんだ。アナログ情報の新聞やテレビの影響力は本当に強い。大多数の人々が社会情報をこの新聞やテレビから吸収しているからだ。しかし新聞やテレビは情報操作を政府や巨大資本によって操作されているのが現実なんだ。話三分の一に聞いていないとだんだんと洗脳されていく。

 60年前にたいへんな痛い目に遭い、二度と間違いを繰り返すまいとその当時の人々はおもったことだろう。しかし次の世代や次の次の世代にその原体験をしっかりと継承しなかったために、またまた同じ過ちを犯すような社会状況になってきた。二大政党の両党首とも憲法9条改悪、普通の戦争のできる国になろうとすることが良いことだとおもっている。こんな感情が当たり前になるのも、たとえばイラク戦争のときに爆撃をうけた場所から黒煙だけは放映するのだが、その下で何が起こっているかを見せない報道姿勢に連結しているようにおもわれる。阿鼻叫喚の地獄図が展開されていることは少し考えればわかりそうなものなのだが、爆撃報道のテレビを見ている人々は忙しい生活をおくっている。一歩深く考えるところまでいかない。

 自分や自分の家族を守ることは大切なことだ。しかしそれは大状況としての社会のあり方が健全なときのみ機能する考え方のようにおれには思えるんだ。つまり大元の社会の方向性を軌道修正しないかぎり、われわれのちっぽけな家族の幸せはあっけなく崩壊させられる危険が大だということなんだ。

2005年10月4日 喜多武司
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by kitatakeshi-blog | 2005-10-04 17:35 | 日本ななめ切り
嵐の前の静けさ
 与党である自民・公明二党で衆議院の三分の二の議席をとるということはどういうことなのかをこのところずっと考えていたのだが、作家・宮崎学氏がはっとさせられるヒントを与えてくれた。宮崎さんのことだから細かいことを言わないだろう。かれのブログから全文紹介する。これで目が覚めるやつが少しはでるといいのだが・・・。そしてこの現状の社会で個人として何ができるか、何をしなくてはいけないかは個人差はあるだろうが明確になった。

 憲法第58条2項 ~スターリン党への変貌~

 自民党、公明党が衆議院の議席3分の2を支配した。

 このことについて、メディアは思考停止を続けている。

 問題は、メディアが言うような「改憲の発議」とか「参院の議決の無効化」というナマッチョロイ話しではない。

第58条 両議院は、各々その議長その他の役員を選任する。

2 両議院は、各々その会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定め、又、院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し、議員を除名するには、出席議員の3分の2以上の多数による議決を必要とする。

 これが3分の2の議席占有の威力である。こうなるとどうなるか。

 つまり言えることは、自らに逆らうものは、実体的に殲滅するという「論理」の純化がはじまる。自民党内にとどまらず、その矛先は民主党の一部にも向かうであろう。そうするとである、議員が「職業」、つまり就職としてとらえているような意識水準の議員はひとたまりもなく寝返ることとなる。

 それでも抵抗する者には、難クセをつけて議員の首を切ればいいということになる。これは法的には何ら問題はない。

 こうして、平成型翼賛政治が完了する。そしてこの翼賛は、社会的にはそれぞれ内部に問題を抱える、警察、検察が下支えすることになる。

 まあ、ワシはこう見とる。

 こうなると「この国は捨てる」と宣言していたワシとしては、ザマー見ろという気分ではあるが、小泉ごときにシッポを巻いて逃げたとなると面白くない。日本に踏みとどまり、小泉との最終戦争をやってみたくなった。

 君子豹変である。

 この言葉の意味は、豹変してこそ君子であるということである。

2005/9/14
宮崎学

宮崎さんが警察に逮捕されたりするとおれも俄然やる気がでるんだがな。

2005年9月18日 喜多武司
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by kitatakeshi-blog | 2005-09-18 15:37 | 日本ななめ切り
小泉自民党大勝、か
 自民党一党で296議席だとさ。東京では自民党比例登録候補者が足りなくて社民党の保坂が繰り上げ当選になった。とんだ珍事がおこったものだ。小泉さん自身もこんなに自民党が勝つなんて思っていなかったんだろう。

 めだか症候群というのかな。ひとつの流れがあるとみんな同じ方向をむいて動いてしまう。自民党にこんなに議席をあげたらん何をしでかすかわからんぞ。へたすると憲法改悪に一気に民意をもっていって、憲法改悪に躊躇している公明党を言いくるめるかもしれん。

 ムードで投票する有権者が増えているということなんだろう。社会の閉塞感を吹き飛ばしてくれる人が小泉首相ということなんだろうか。本当はリストラされている君のように社会的弱者を増産しているのが小泉政権なんだということにどうして気づかないのだろう。

 日本の将来に暗いイメージしか持たないでおれは生きてきたが今度という今度は日本社会はとんでもない方向に舵を切ったな。もう後戻りはできないだろう。奈落のそこまで落ちてみんな痛い目に遇えばいい。今の日本社会の危険性に気づいた人間ははやいところ日本を脱出することも自分の人生を大切にするひとつの生き方だろう。

 また勝ち組といわれる君はせいぜい家族が誘拐犯から狙われる危険性を認識することだな。なぜなら小泉政権は強いものはより強く、弱いものはより弱くという弱肉強食社会を善しとしているからだ。虐げられた人間の恨みは恐ろしいものがあるぞ。

 9.11NYテロよりもおそろしい9月11日になってしまった。

2005年9月11日 喜多武司

 
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by kitatakeshi-blog | 2005-09-12 06:06 | 日本ななめ切り
見沢知廉が、死んだ

 見沢 知廉
1959年(昭和34年)東京都文京区生。早稲田中学、早稲田高校から定時制高校を経て、中央大学法学部中途除籍。現在、慶応大学文学部に在籍。79年東京サミットで決起しなかった新左翼に失望し80年から新右翼に参加する。82年スパイ粛清事件などで逮捕、12年間の獄中生活を送る。94年10月獄中で書いた小説「天皇ごっこ」が第25回新日本文学賞を受賞 。


 革命家を目指した見沢 知廉はおれと同じ「シラケ世代」に属する。生真面目に革命を考えれば考えるほど、周囲との距離が離れていく。上記に掲げた略歴をみると有名中学・高校を経て、突如定時制高校に変わってしまうことにデラシネ(根無し草)的生活態度を垣間見させるし、大学中途除籍は、学生運動をがんばっていたんだろうな、と想像させる。そして大学に入りなおしているところをみるとつくづく生真面目な性格だなと感じさせるんだ。

 奇特な人間がひとり減った。朝日新聞によると自殺をしたということだが82年スパイ粛清事件でころした人間への懺悔の気持ちでも湧いたのだろうか。いままで著作では被害者への追悼の意は顕してこなかったからな。最近の著作は読んでいないが、かれの目からみた日本社会というのはどのように映るのだろうか。最近の彼の著作をよんだ読者がいたら感想を寄せてほしい。

 見沢知廉、あの世でも革命に邁進しろよ、合掌。

 2005年9月8日 喜多武司
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by kitatakeshi-blog | 2005-09-09 18:20 | 日本ななめ切り