自分の人生の主役は自分なんだよ。
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2006年 08月 14日 ( 2 )
これからの日本の方向性
 靖国神社に首相が参拝すれば中国や韓国から非難の嵐が沸き起こる。けっして隣国との友好関係は持続できない。しかし政府はそれでよしとしているように見受けられる。たとえば中国と経済交流はアメリカを上回る規模だ。人的交流も活発化している。それに水をさすような首相の行動をどのようにかんがえればいいのか。

 靖国問題は教育基本法改悪や憲法改悪へ波及するもんだいだ。ここで改正ではなくて改悪ということばを使う訳は政府にとっては改正だが、一般国民にとっては改悪だ、と言う意味だ。

 戦後教育基本法の精神を政府はないがしろにしてきた。物言わぬ民を造るためだ。一億総痴呆化政策ということもいえよう。なんでこんなつまんないこと勉強しなくてはならないんだ?と学校時代におもったことは無いか?ほとんどのひとが思ったんじゃないのか。そう、勉強の意義を教えずに詰め込み教育をすることによって思考停止にしてブロイラーのごとく経済生産性をあげさせるのに都合がいい人間をつくるための教育を戦後日本はしたんだ。

 学校教育の意義は広く浅く学んで来るべき社会人になってより深く勉強しようと思ったときの基礎を学ぶことなんだ。けっして一流大学・一流会社にはいるためのものではない。だから学校時代にたとえば歴史を勉強したい、と決めれば、それに熱中すればいい。参考文献なんかを読むこともあろう。そのときに分からない漢字がでてきたら、辞書で調べればいい。それこそが本当の勉強というものだろう。なにも腹が決まった学生は他の勉強なんかすることないよ。実社会では小学校4年程度の学力があれば十分生きていける。そしてそうした学生時代をおくった人々の生き様が多様化した社会を創っていく。それが社会の新たな原動力になっていくんだ。そしてこのような学校教育こそが教育基本法の精神だ。

 しかしそんな教育を受けていない現在の民の生活はどうだ。物心ともに快適な生活が送れていいはずなのに大多数の国民は時間におわれ、一家団欒のひと時もおくれないじゃないか。なんのために家族があるんだ。ましてや小泉政権誕生いらい、格差社会が拡がっている。フリーターと正社員の賃金格差は拡がる一方だ。存在意義さえ危ぶまれる階層が国民のあいだにできつつある。このまま行くと将来、徴兵の前段階としての志願制ができたとき、好待遇に魅了されてこの階層から軍隊に入っていくことになる。

 行き着くところまで行かないとほとんどの人々が国の将来が分からないとみえる。どんと日本経済が落ち込んで悲劇をみんなで共有しないと大多数の国民にとって本当に有益な新しい社会が出来ないのかもしれないな。まあヨーロッパは悲劇の共有があるからこそ、民主主義が大多数の国民に享受できているんだが・・・

2006年8月14日 喜多武司
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by kitatakeshi-blog | 2006-08-14 00:57 | 日本ななめ切り
靖国神社問題
 8月15日に小泉首相が靖国神社を参拝することが確実視されているようだ。毎年小泉首相は参拝しているが、いついっても中国や韓国から非難の嵐につつまれるなら、彼の性格ならば公約通り15日に参拝を強行するだろうとおれもおもう。

 しかしなぜ首相が靖国に参拝すると中国や韓国が非難するのか。そこのところを分からない国民がおおいのではないか。まあ、おれのブログをみていてくれる読者には、そのくらいのことは分かっているとおもうけれど。

 国民の大方が「忘却史観」に肩入れしているようにおもえる。すこし歴史をおさらいしておこう。

1867年 戊辰戦争
1869年 東京招魂社創建
1879年 靖国神社に改名
1945年 連合国軍による神道指令発令(12月15日)
1946年 宗教法人化(2月2日)
1951年 吉田茂 参拝
1959年 BC戦犯合祀
1975年 昭和天皇、最後の参拝
1978年 A級戦犯合祀
1985年 中曽根首相 公式参拝(8月15日)
2006年 小泉首相 公式参拝(8月15日)?

 19世紀と言えば国民国家ができあがる時期だ。幕藩体制にかわる国民国家を創るうえでどうしても国民統合の象徴が必要で、京都においでであった天皇を国家元首として祀り上げる。たしか江戸時代までは真言宗の檀家であった天皇家の宗教を維新政府は幼少明治天皇にやめさせて神道を日本国民の義務的宗教に祀り上げるようになる。そして戊辰戦争で官軍側で戦死した国民を日本国のために死んだ神として東京招魂社に祀ることとなる。したがって維新政府・天皇に反逆し西南戦争で死んだ西郷隆盛は靖国に祀られていない。

 時代はさかのぼって1945年の連合国軍による神道指令発令は重要だ。時の権力者GHQは靖国問題を穏便に解決しようとして、靖国解体ということは思いとどまる。一宗教法人としてとどまるか無宗教の公共施設になるかの二者択一を靖国神社はGHQから迫られる。そして翌1946年2月2日に延命策のために一宗教法人となる。つまり宗教性と公共性を併せ持った靖国ではGHQは許さんということだ。違う角度からいうと信教の自由と政教分離をGHQは靖国神社に強要した。敗戦という事実をわきまえれば道理ということがいえる。

 日中戦争では日本は310万の死者を出している。遺族の方の思いは無念というほかない。せめて靖国に神として祀られなければ立つ瀬がないというものだろう。その気持ちもよく分かる。でも大日本帝国がアジアの地・中国で引き起こした戦争のために犠牲になったひとびとはそれを上回る1000万人以上なんだ。あちらの遺族の気持ちも慮ってほしい。

 この問題の「落としどころ」として天皇と国民を免罪するかわりにA級戦犯といわれる人が絞首刑になった。天皇制と日本国民を守るための生贄にA級戦犯がなった。この歴史的事実はしっかりとおれたちの胸に刻み込まないといけない。
 
 つまりA級戦犯に罪をなすりつけたのに現日本国首相がその人々を祀っている靖国神社に参拝することは、中国政府からすれば自国民を説得できない。またぞろ日本帝国主義が復活するのではないかと危惧するのはもっともなことだ。だから首相参拝には反対するんだ。

 靖国問題は参拝賛成派、反対派のなかでも四分五裂している状況だ。もし小泉さんが15日に参拝するならば、日本国民にとってすばらしい問題提起をすることとなり、日ごろ忙しさにかまけている一般国民にも少しは物を考える時間をあたえることになろう。

 いずれにしても過去の歴史をよく吟味しこれからの日本はどういう方向にいけばいいのかということと靖国問題は密接に結びついている。

2006年8月13日 喜多武司
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by kitatakeshi-blog | 2006-08-14 00:17 | 日本ななめ切り