自分の人生の主役は自分なんだよ。
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守屋防衛次官 証人喚問に想う
 国の政策をきめるトップのモラルのなさを罵倒したところで、物事はなにもかわらない。人のうわさも75日。あとからおもうとそんなこともあったな、で終わりだろう。

 どうして学力や高学歴があるだけで、ひとは頭がいいとおもい、尊敬するのか。若いときから疑問に思っていることだ。その人となりをしっかり見据えて人を判断すればいい、ただそれだけのことなのに。すこし考えてみれば、わかりそうなものだが、子供のときから物事を考える、という教育をほとんどの国民が受けていないので、どうしても学校で教える文部省的レールのうえでしか思考できないんだろうな。つまり学力エリート=頭のいい人、ってな訳だ。

 守屋次官なんかは民間へ行ったほうがよかった学校エリートかもしれない。なんてったつてこんな不祥事をするということは、お金が好きな人なんだ。そういう人は上級国家公務員には向かないんだ。私論をいえば、上級国家公務員の賃金がやすいから、こんなことにもなる。天下りが絶えないのも、人情としてはわかる。上級国家公務員の給料は十倍にしてもいい、と思っているよ。これだけでかなりモラルがあがるだろう。そして上級国家公務員の試験では古今東西の哲学を出題範囲にする。そこに精通してこそ、カネとは無縁な思考回路になるとおもうからだ。

 こんなことを書くのも明治維新政府によって否定された徳川幕藩体制の旗本のモラルの高さに着目するからだ。3歳のときから儒教的な教育を施され、一生、お金にさわったこともない旗本(今でいう上級国家公務員)がほとんどだという。ここに徳川幕府260年の天下泰平があったのだろうと想像する。

 それに江戸時代の寺小屋制度。これも今の文部省的学校よりどれだけいいことか。何歳に寺小屋にいってもいい。たとえば算数に精通しているものは精通していないものに教える。生徒が生徒に教えるわけだ。現代的にいい改めれば小学四年の生徒が小学一年の生徒に教える。教えるほうも再確認ができ、知識を深められる。この方式をとれば寺小屋のように60人の生徒を一人の先生でまわすことができる。人件費、つまりは税金の大幅な削減になる。それでいて国民全体の学力が上がる。一石二鳥だ。現代日本は知恵が足りないよ。

 また寺小屋には6000冊ににぼる教科書があったという。何を学んでも自由だ。しかしどの教科書を学ぶにしても、読み書きができなければ話にならない。読み書きは基礎中の基礎だ。その当時幕府には寺小屋のための検定教科書なんてものはなかった。その結果どうなったか。19世紀の幕末のころに来日した欧米人は日本人の識字率の高さに目を丸くしたという。欧米にあって日本に存在していないものでも、すぐに日本人は理解した。

 そろそろ欧米かぶれした明治維新以来の流れを断ち切るときがきたように思うね。もっと日本人にあった社会制度というものが考えられていい。そのいい教材が江戸時代の制度の見直しかもしれない。ここ数年、おれは江戸時代のことを調べているが、現代にも生かせる制度がたくさんあるよ。

2007年11月16日 喜多武司
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by kitatakeshi-blog | 2007-11-15 20:10 | 日本ななめ切り