自分の人生の主役は自分なんだよ。
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日本きもの党宣言
先日国会を通過した教育基本法改正案では、とうとう日本社会もここまできたか、というおもいだ。「改正」と一般にいわれているが、一般国民にとっては「改悪」といっていいだろう。一度、前教育基本法をみんなにも読んでもらいたい。戦後自民党政府は教育基本法の理念にそった学校教育をしてきたのだろうか。おれは否といいたい。
個性をのばす教育、絵に描いた餅であった。学校教育において基本である「読み書きそろばん(計算)」を基本に自分のあたまで物事を考えるという教育をしてきた事があったか。こどものころから物事をかんがえる教育をしていたら、現代の国民のレベルもそうとうにあがっていたはずだ。不正に対する社会変革の原動力になっていただろう。そのことは国の統治者にとっては怖いので、与えられた教育をなんの疑問ももたずに丸暗記する子供が優秀というお墨付きを政府は与え続けてきた。そして政府が考える優等生に対しては高賃金・高待遇というアメによって保護し続けてきた。一億総愚民化政策だ。 国民一人一人にとってぼんやりした不安を持ち続けて生きる日々ではないのか。日々の生活が忙しく、仕事においては精神的な締め付けがおおくストレスがたまっている国民も多かろう。それでも物事を思考するという習慣が大多数の国民に根付いていないために、ぼんやりした不安がどこから来ているのか、考えられないでいるのではないか。 1999年以来おれなりに日本社会に警鐘を鳴らしてきた。特に未来のある俺より若い世代のために減らず口の文章を書き続けてきた。しかしおれが思っている理想の日本社会とは正反対の社会になろうとしている。今までのおれのやり方ではだめなのではないかという気持ちがもたげてきている今日この頃だ。 そこで、みんなにとってもっと身近なところから生活態度を変えることができないかとかんがえるようになった。そこで出てきたのが世界に誇る民族衣装である「きもの」だ。 一週間に一度はきものを着る日をつくろうと提唱したい。なぜきものなのか。それはきものを着るという行為のなかで時間を過ごすことによって、新しい発見があるのではないかと考えたからだ。思いついたことを並べてみると、胴長短足の日本人の体型を隠し美しく見せるすばらしい衣装だ。傍目から見ているだけで惚れ惚れする。姿勢がよくなる。さらしや帯をつけることによって暴飲暴食がが出来なくなる。日本の伝統工芸の方にも目が行くようになる・・・まだまだいろいろあるとおもうが、女の子も出勤時にはドカドカと早歩きしているが、きものを着ればそうもいくまい。自分の生活態度を見直す良い機会になる。 きものを着るを合言葉に緩やかな連帯ができるのではないかとも考える。民族衣装を着て生活できないことに疑問を感じる人々もでてこよう。そこから変革の兆しが生まれるのではないか。 今日のところは思いつくままにかいた。また日にちが経てば、あたらしい考えも浮かぶかもしれない。 2007年3月17日 喜多武司
by kitatakeshi-blog
| 2007-03-17 19:50
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